レスリーへの道
「さらば、わが愛 覇王別姫」を観て「レスリー・チャンて誰?」と強い感銘を受けた私だが、すぐにファンになったわけではない。
当時私の心はまだドイツ語とウィーンに向いていたし、日常の忙しさに紛れていつしか
気持ちも薄れていった。
その後テレビで放映された「男たちの挽歌」と「上海グランド」を観たが、どちらからも強い印象は受けていない。もともとギャングがピストルを撃ち合うような映画は嫌いなのに、どうして観たのが数あるレスリーの映画の中からこの2本だったのだろうと思う。縁がなかったとしか言い様がない。
ウォン・カーワイの評判は知っていたのでテレビで放映された「天使の涙」を見たが、
私はこの映画はまったくダメで、途中で見るのをやめてしまった。
もしこれが「欲望の翼」あるいは「恋する惑星(レスリーは出ていないけど)」だったらもっと早くレスリーと出逢っていたかも知れない。
レスリーが日本で知られるようになったのは93年頃からで、わずか10年間だけだ。
その10年間は私にとって仕事や私生活でいろんな変化があり、映画館にも全然行かなかったしテレビもあまり見なかったので、レスリーとの接点はほとんどなかったと言ってもいい。
レスリーのことは忘れても仕方のない状況だが、でも忘れはしなかった。
ずっと「素敵な俳優」と思っていたが、本当にレスリーの魅力を知るのは2003年に1本の映画を観るまで待たなくてはならなかった。
当時私の心はまだドイツ語とウィーンに向いていたし、日常の忙しさに紛れていつしか
気持ちも薄れていった。
その後テレビで放映された「男たちの挽歌」と「上海グランド」を観たが、どちらからも強い印象は受けていない。もともとギャングがピストルを撃ち合うような映画は嫌いなのに、どうして観たのが数あるレスリーの映画の中からこの2本だったのだろうと思う。縁がなかったとしか言い様がない。
ウォン・カーワイの評判は知っていたのでテレビで放映された「天使の涙」を見たが、
私はこの映画はまったくダメで、途中で見るのをやめてしまった。
もしこれが「欲望の翼」あるいは「恋する惑星(レスリーは出ていないけど)」だったらもっと早くレスリーと出逢っていたかも知れない。
レスリーが日本で知られるようになったのは93年頃からで、わずか10年間だけだ。
その10年間は私にとって仕事や私生活でいろんな変化があり、映画館にも全然行かなかったしテレビもあまり見なかったので、レスリーとの接点はほとんどなかったと言ってもいい。
レスリーのことは忘れても仕方のない状況だが、でも忘れはしなかった。
ずっと「素敵な俳優」と思っていたが、本当にレスリーの魅力を知るのは2003年に1本の映画を観るまで待たなくてはならなかった。
by kelly-o
| 2006-03-03 16:12
| 映画
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