歌
スティーヴン・キングは、小説「クリスティーン」の覚え書きの中で、歌の歌詞は作詞者のものではなく歌手のものだと書いている(要約)。
私がレスリーの歌を聴く時(日本語訳の歌詞がある場合)は、レスリーからの言葉として聴いている。もちろん作詞者がいるわけだから、全部がレスリーの気持ちと同じではないと思うけど、レスリーはレコーディングの時に、納得できないと作詞者に変更を求めたり、自分の中でストーリーを作り上げて歌っているそうだ。だから歌詞は作詞者のものであると同時にレスリーのものでもあると感じている。
レスリーの中国語の歌詞の歌は、意味は分からなくてもそれを歌うレスリーの感情が伝わって来る。歌詞は字を読めばただの詩だけど、曲に乗せて歌手が歌うと全然別のものになってくる。やっぱり私もスティーヴン・キングの意見に賛成だ。
私がレスリーの歌を聴く時(日本語訳の歌詞がある場合)は、レスリーからの言葉として聴いている。もちろん作詞者がいるわけだから、全部がレスリーの気持ちと同じではないと思うけど、レスリーはレコーディングの時に、納得できないと作詞者に変更を求めたり、自分の中でストーリーを作り上げて歌っているそうだ。だから歌詞は作詞者のものであると同時にレスリーのものでもあると感じている。
レスリーの中国語の歌詞の歌は、意味は分からなくてもそれを歌うレスリーの感情が伝わって来る。歌詞は字を読めばただの詩だけど、曲に乗せて歌手が歌うと全然別のものになってくる。やっぱり私もスティーヴン・キングの意見に賛成だ。
by kelly-o
| 2007-08-03 10:16
| レスリーの音楽
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