ゼノさんのこと
自分がブログを書くようになって、いろんな方のブログも読むようになった。でも時間的な制約もあって、毎日アクセスするのはごく限られたブログだ。
時々コメントを寄せてくださる小野寺光子さんのブログ「ONE DAY」もその1つで、毎日のように訪れている。
こんな風に書くのは恐縮だが、考え方や感じ方に似たところがあり、私が上手く書けないようなことも、さりげなくやわらかい分かりやすい文章で書いていて、その自由さをうらやましく思っていた。私のブログはレスリーに関することばかりで、それはそれで楽しいけど、もっと他のことも書きたいな、と去年くらいから徐々に思うようになってきた。私も小野寺さんを見習って今年からはこのブログでレスリー以外のことも書こうと思う。
でもレスリー以外のことも、深いところではレスリーを好きな気持ちと繋がっているのではと感じている。
前から思ってはいたけど、今回他のことも書こうと決めたきっかけは、小野寺さんのブログに「ゼノさん」の名前を見たからだ。たいした話ではない。40年も前の個人的な思い出だけど、ゼノさんのことを書きたいと思ったのだ。
当時、電車通学をしていた私が座っていると、前にゼノさんが立った。その時はゼノさんの名前は知らなかったけど、電車の中で時々見かけていたので「あの神父さまだ」とすぐに分かった。今と違い恥ずかしがりやの中学生だった私は、普段は席を譲るなんてことはしなかったけど、ゼノさんには勇気をだして席を譲った。ゼノさんには人をそういう気持ちにさせる何かがあった。
席に座ったゼノさんは、澄んだ瞳でニコニコと前に立っている私を見るので、私はますます恥ずかしくなって、ずっと下を向いていた。そのうちゼノさんの隣の席が空くと私を手招きして隣に座らせ、自分の記事が貼ってあるスクラップ帳を見せてくれたのだが皇太子殿下(今の天皇陛下)と一緒の写真とかもあって、ちょっと自慢そうだった。
そして同じ駅で降りて、別れる時に「ゼノ死ぬひまない」の本をくれた。
平凡な女子中学生だった私にとって、それはとても大きな出来事で、家に帰ってすぐに家族に話したし、もらった本は大切に何度も読んだ。
その後、電車の中で2、3度会ったりしたけど、高校生になるにつれて見かけても挨拶をしなくなってしまった。でも就職してから一度、新宿の「高野」というファッションビルで、ゼノさんとばったり会ったのだ。あんまり意外な場所だったので、思わず「ゼノ神父さま、ここで何をしているのですか」と失礼な質問をしてしまった。
ゼノさんは「果物売り場の主任さんに、ポーランドにじゃがいもを送ってもらうようにお願いをしてきました」と言ったので、そうだったのかと納得したけど。でもゼノさんは、いつも好奇心がいっぱいのキラキラした瞳をしていた気がする。
私はゼノさんをいつも「ゼノ神父さま」と呼んでいた。ゼノさんは修道士で神父ではなかったし本にもちゃんと「ブラザーゼノ」と書いてあったけど、そして着ているものも修道士の質素な服だったけど、私にとってはとても尊敬のできる立派な方だった。
話はこれでおしまい。特別ドラマティックでもないし、ただ何度か会って話をしただけのことだ。でもゼノさんのことは今でもよく覚えている。きっと気がつかないけど、いろんな影響を与えてくれたんだろうなと思う。
レスリーは目に見えて、自分でも分かる程の影響を与えてくれた。でもゼノさんは全然そんなことはなく、キリスト教徒になることもなかったし、普段は思い出しもしない。
でも何かきっかけがあると、その思い出はとても鮮やかに甦ってくるのだ。
時々コメントを寄せてくださる小野寺光子さんのブログ「ONE DAY」もその1つで、毎日のように訪れている。
こんな風に書くのは恐縮だが、考え方や感じ方に似たところがあり、私が上手く書けないようなことも、さりげなくやわらかい分かりやすい文章で書いていて、その自由さをうらやましく思っていた。私のブログはレスリーに関することばかりで、それはそれで楽しいけど、もっと他のことも書きたいな、と去年くらいから徐々に思うようになってきた。私も小野寺さんを見習って今年からはこのブログでレスリー以外のことも書こうと思う。
でもレスリー以外のことも、深いところではレスリーを好きな気持ちと繋がっているのではと感じている。
前から思ってはいたけど、今回他のことも書こうと決めたきっかけは、小野寺さんのブログに「ゼノさん」の名前を見たからだ。たいした話ではない。40年も前の個人的な思い出だけど、ゼノさんのことを書きたいと思ったのだ。
当時、電車通学をしていた私が座っていると、前にゼノさんが立った。その時はゼノさんの名前は知らなかったけど、電車の中で時々見かけていたので「あの神父さまだ」とすぐに分かった。今と違い恥ずかしがりやの中学生だった私は、普段は席を譲るなんてことはしなかったけど、ゼノさんには勇気をだして席を譲った。ゼノさんには人をそういう気持ちにさせる何かがあった。
席に座ったゼノさんは、澄んだ瞳でニコニコと前に立っている私を見るので、私はますます恥ずかしくなって、ずっと下を向いていた。そのうちゼノさんの隣の席が空くと私を手招きして隣に座らせ、自分の記事が貼ってあるスクラップ帳を見せてくれたのだが皇太子殿下(今の天皇陛下)と一緒の写真とかもあって、ちょっと自慢そうだった。
そして同じ駅で降りて、別れる時に「ゼノ死ぬひまない」の本をくれた。
平凡な女子中学生だった私にとって、それはとても大きな出来事で、家に帰ってすぐに家族に話したし、もらった本は大切に何度も読んだ。
その後、電車の中で2、3度会ったりしたけど、高校生になるにつれて見かけても挨拶をしなくなってしまった。でも就職してから一度、新宿の「高野」というファッションビルで、ゼノさんとばったり会ったのだ。あんまり意外な場所だったので、思わず「ゼノ神父さま、ここで何をしているのですか」と失礼な質問をしてしまった。
ゼノさんは「果物売り場の主任さんに、ポーランドにじゃがいもを送ってもらうようにお願いをしてきました」と言ったので、そうだったのかと納得したけど。でもゼノさんは、いつも好奇心がいっぱいのキラキラした瞳をしていた気がする。
私はゼノさんをいつも「ゼノ神父さま」と呼んでいた。ゼノさんは修道士で神父ではなかったし本にもちゃんと「ブラザーゼノ」と書いてあったけど、そして着ているものも修道士の質素な服だったけど、私にとってはとても尊敬のできる立派な方だった。
話はこれでおしまい。特別ドラマティックでもないし、ただ何度か会って話をしただけのことだ。でもゼノさんのことは今でもよく覚えている。きっと気がつかないけど、いろんな影響を与えてくれたんだろうなと思う。
レスリーは目に見えて、自分でも分かる程の影響を与えてくれた。でもゼノさんは全然そんなことはなく、キリスト教徒になることもなかったし、普段は思い出しもしない。
でも何かきっかけがあると、その思い出はとても鮮やかに甦ってくるのだ。
by kelly-o
| 2008-01-05 09:54
| その他
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